浮気は男の甲斐性?

「奥様に浮気がバレだことは、ないんですか?」

熟年のブルジョワ・プレイボーイに質問した。

「さあ、べつに何も尋ねられたこともないけど、幼いときに彼女の祖父が正々堂々と近所の妾宅に通うのを見て育っているから、男というのはそんなものだと思っているのかもしれないね」

そしてこの紳士自身も、「男というのはそんなものだ」と思い込んでいて、そのよう行動するにあたって、なんら配偶者に対しての罪悪感はなさそうだ。(ひょっとしたら、現代の若い男性たちは、男女平等教育のおかげで、オジサンたちにくらべれば、妻や恋人に対して誠実でありたいと思っているかも。で、もしなんらかの成り行きで、他の女性と肉体関係を結ぶことになると、これを「裏切り」と思い、ちょっとした罪悪感に悩むのかもしれない。回数を重ねるに従って、そのような感覚も麻痺するに違いないのだが。)

かつて浮気は「男の甲斐性」と言われた。その時代には、男の浮気は「裏切り」ではなかったのだ。けれども「貞女は二夫にまみえず」が美徳だったから、女の浮気は「甲斐性」どころか、立派な「裏切り」とみなされたのだ。(そして人妻の場合は姦通罪になった。)

しかし当たり前のことながら、(同性愛者でなければ)男性の浮気の相手をする女性が必ずいるわけだ。であるならば、また複数の男性と付き合っている女性が存在しなければ、計算上、「情事」は成り立たないことになる。もちろん戦争のために、男女比がひどくアンバランスになっていれば話は別だが、なにも「浮気男」はその上うな時代だけに、社会を反映して出現するわけではない。

そして相手の女性が既婚者である場合も少なくないからこそ、「町内で知らぬは亭主ばかりなり」などといった川柳も生まれたのだ。だが、甲斐性とみなされえた男の浮気とは異なり、女性の場合は人に知られることはきわめて不利である。人妻なら、なおさらだ。そこでおそらく、亭主はもちろん、町内の者にも悟られないように。用心深く行動していたに違いない。

そうして巧く浮気を誤魔化してこれた女性だけが、そのDNAを子孫に残せたので、現代女性が「モテ女」に憧れ、複数恋愛に走るのは当たり前なのか???