浮気の理解者はいる?

浮気相手が単数と複数というのは、本質的に違うのか、ただ数やチャンスが異なっただけなのか、それはケースバイケースだろう。だが最近、複数恋愛や分散恋愛が注目されると、単なる浮気ではなく、相手が複数、という状況にも理解者が現れるのだ。

心理学者が、現代のその上うな女性たちを、次のように分析して説明する。

「人間関係の稀薄化というのが大きいでしょう。少子化のために、家庭の中で無菌培養されてきた今の若い人たちは、本気で相手とぶつかりあうことが怖いんです。それで恋人とも、一定の距離をおいてつきあおうとする。また、怒りや悲しみを直視するのも恐ろしいから、誰かにフラれても、大きなダメージを受けないように、エネルギーを分散させておく。結局は自分が傷つかないための自己防衛。そんな気持ちが強いから、広く、浅くという複数関係になりがちなんでしょう」

べつに複数恋愛を勧めているわけではないが、こういう事情なんだからしどっがないよねえ、という見方だ。

ただし、彼には女性の浮気心が、よくわかっていないのかもしれない。というのもその心理学者は、恋愛についてのいわゆるハウツーものの著作が多いのだが、基本的にはコンサバ男性である。

たとえば、「あなたはどちらの人生を選びますか?」との問いに、「(A)一生、一人の人から深く愛される (B)一生、そこそこモテる」の二択の答を用意し、多くの女性はA、男性の半分はBを選ぶようだと説明する。その根拠は示されないので、おそらくその心理学者の印象的な判断によるものなのだろう。

そりゃ、彼の周囲にチャラチャラいるであろう女性たちの甘い考え方はいざ知らず、日本企業においても終身雇用制が崩れつつある今日、しかもこの長寿国において、(男性よりも現実的な)女性が、(もしマトモな教育を受けているなら)「一生、一人の人から」なんて、本気で考えるはずがない。

それにその「一人」がコケたら、どうするのだ。弱い女なればこそ、「そこそこモテる」資質を身につけておくべきだと思わない女性がいるとしたら、「誠実」ではなく単に「浅はか」なのだ。

また、三人の男性から告白されて一人に絞りきれない女性の相談を考える出来事があったのだが、そのアドバイスが「無理にひとりに絞る必要はありません」と言いながらも、「どの人でもいいから、とりあえずつきあってみる」と、矛盾しているのだ。

まあ迷うということは決定的には魅せられていないからで、そのうち「本命」が現れる可能性もあるのだろうが、そこまではその心理学者は言い切っていない。いずれにせよ三人とも、彼女がまだ付き合っていないのなら、「浮気」でも「複数恋愛」でもない。

 

女の「浮気」の正当化

つい最近まで(そして年代によっては今でも)男性の浮気が当たり前と思われていたのに対し、女性の浮気は「とんでもないこと」たった。そこで、現代の女性誌が「複数恋愛」などを肯定的に扱う場合、適当な「応援団」を見つけてきて、浮気的な行為をできれば科学的に正当化しようとする。

たとえば『SAY』の「ひとりの彼にしばられたくない もっといろんな恋をしたい」では、医学博士が登場して「恋愛を生理的に見ると女性のほうが有利なんです」と断言する。

それはセックスにおいても、女性はいつでも可能なのに男性はそうはゆかない点からも明らかとか。この記事はバイアグラが出回る前に掲載されたものだが、薬があったところで、やはり男性には回数的に限界があるはずだ。

私が大学院在学中、同期の男子学生があるとき、したり顔で、「もし妻が浮気をしたら絶対に夫にバレる」と言ったのが忘れられない。

「どうして?」

「だって、浮気している妻は夫に対してセッククスを拒否するに決まっているから」

まさかドイツ哲学専攻の男性が皆、彼のように単純発想の持ち主ではあるまいが、いや、ひょっとしたら世の中、こんなふうに考えて安心しきっている男たちが多いのだろうか。

だとしたら、セックスを拒否しなければ、妻の浮気はバレないのだ!

しかも(ありがたいことに?)女性の場合、たとえ浮気デートから帰宅直後でも、夫を受け入れることは(その気がなくても)可能である。

けれども男性の場合は大変だ。還暦を過ぎたあるプレイボーイ氏は、なんと「彼女」との情事を楽しんだ日に限って。その夜、妻にすり寄って来られたことがあるのだとか。

「本当に不思議なんだけど。何力月も僕を求めなかったくせに、フェロモンを感じたのかもしれない」

「で、どうされました」

「死ぬ思いで頑張りましたよ。妻に恥をかかせてはいけませんからね」

浮気については決して誉められないが、この妻に対する心意気は立派だと思う。こんなオトウサンなら、「熟年離婚」の心配はあるまい。ただしこの一件以来、この男性は。(もしもの場合に備えて)妻のために「余力」を残すべく、浮気において心がけるのだとか。やれやれ。

というわけで、たしかに「複数恋愛」について、肉体的には、男性より女性のほうが有利である。そんこと、言われなくても誰だってわかっているのだが、「医学博士」から「御墨付き」をいただくと、恋愛性の女性なら、「複数恋愛」への免罪符に利用することになるだろう。「だって女性の肉体って、そんなふうにつくられてるのよ」と。しめしめ。

 

一夫多妻制度と複数恋愛

女性の浮気が男性の浮気にくらべて、はるかにリスクを伴うために、極秘に行われていたので、男たちは(自分の浮気相手のことは棚に上げ)、女は浮気しない、あるいはできないと、(オメデタクも)思い込んだふしがある。

まあ希望的観測、ということなのかもしれないが、「男は同時に複数の女性を愛することができるが、女性は一人の男性しか愛せない」なんて、ロマンチックな妄想を抱いている男性って、案外多いのではないのだろうか。

そのイメージを支えるのが「一夫多妻制」と「授精と出産」である。

面白いことに現代日本のように一夫一婦制が法律上は定められ、大部分の人々がそのような家族形態で暮らしている場合、「一夫多妻制」社会と聞くと、男性はあたかも自分が複数の妻を持ってる地位にいると仮定してしまうらしい。

一夫多妻制においては、実力者たちが複数の女性を独占してしまうので、ひょっとしたら自分は一生、女性と結婚どころか交わる機会すらもないかもしれないとは(オメデタクも)考えないのだ。

制度はつねに権力者の都合によってつくられる。一夫多妻制もしかりだ。そのとき、女性は複数の男性を愛することが可能か、なんて検討して制度が決められたわけではない。

できあがった制度は、(しばしば実情を無視して)一人歩きする。(有能な)男性は複数の女性を愛してもいいが、女性は一人の男性しか愛してはいけない、となる。(そりゃ、生まれた子供の父親が自分でなければ、この有能な男は困る。)そしてこの「禁止」はやがて「不可能」にすり替えられてしまったのではないだろうか。つまり、「女性は一人の男性しか愛せない」である。

こんな根拠のない戯言を、笑顔で聞いて心の中で「男って、ポンド単純!」と馬鹿にする女性ばかりならいいのだが、中には素直にこの仮説を刷り込まれ、「貞女は二夫にまみえず」を信じ込む純情派もいる。

しかし人の心は当てにならぬもので、このような貞女候補生が、二人の男性に言い寄られ、どちらかを決めかねて悩んだりするのだ。あるいは、一人の男性と交際しているときに、たまたま知り合った男性に魅せられた-当然彼女は悩む。

しかしこの悩みには、もともとの彼氏を裏切ることへの罪悪感だけではなく、「女が二人の男性を同時に愛することが可能なのだろうか」という。ある種の呪縛ががらんでいるように思われてならない。

いっぽう、「僕らは複数の女性を愛せるようにDNAが組み込まれているんだ」なんて思える男性は、すごく気楽だろう。私の友人にも、「男が自分の子孫を多く残そうと、複数の女性を相手に精子を蒔きたがるのは、自然のプログラム」と言ってはばからないオジサンがいる。

彼いわく、女性は優秀な男性を選び、その子を産んで育てるようにプログラムされているから、そんな男性と結ばれたら浮気はしないとか。この男性、東大出だから自分が優秀だと、かなり油断しているかも。

あのさあ、性と生が直結しないわれわれ文明人において、いい加減、鳥の話を当てはめるの、やめてもらえないかなあ。セックスが子づくり以外の目的で行われるようになって久しいんだしさあ。だいいち、世界最古の職業は。娼婦だと、よく言われるでしょ(もっとも、売春婦ではなく助産婦という説もあるけれど、古代遺跡にも娼館はよく見られるから、古くから仕事としてセックスが成り立っていたことは間違いがない。)

 

浮気は男の甲斐性?

「奥様に浮気がバレだことは、ないんですか?」

熟年のブルジョワ・プレイボーイに質問した。

「さあ、べつに何も尋ねられたこともないけど、幼いときに彼女の祖父が正々堂々と近所の妾宅に通うのを見て育っているから、男というのはそんなものだと思っているのかもしれないね」

そしてこの紳士自身も、「男というのはそんなものだ」と思い込んでいて、そのよう行動するにあたって、なんら配偶者に対しての罪悪感はなさそうだ。(ひょっとしたら、現代の若い男性たちは、男女平等教育のおかげで、オジサンたちにくらべれば、妻や恋人に対して誠実でありたいと思っているかも。で、もしなんらかの成り行きで、他の女性と肉体関係を結ぶことになると、これを「裏切り」と思い、ちょっとした罪悪感に悩むのかもしれない。回数を重ねるに従って、そのような感覚も麻痺するに違いないのだが。)

かつて浮気は「男の甲斐性」と言われた。その時代には、男の浮気は「裏切り」ではなかったのだ。けれども「貞女は二夫にまみえず」が美徳だったから、女の浮気は「甲斐性」どころか、立派な「裏切り」とみなされたのだ。(そして人妻の場合は姦通罪になった。)

しかし当たり前のことながら、(同性愛者でなければ)男性の浮気の相手をする女性が必ずいるわけだ。であるならば、また複数の男性と付き合っている女性が存在しなければ、計算上、「情事」は成り立たないことになる。もちろん戦争のために、男女比がひどくアンバランスになっていれば話は別だが、なにも「浮気男」はその上うな時代だけに、社会を反映して出現するわけではない。

そして相手の女性が既婚者である場合も少なくないからこそ、「町内で知らぬは亭主ばかりなり」などといった川柳も生まれたのだ。だが、甲斐性とみなされえた男の浮気とは異なり、女性の場合は人に知られることはきわめて不利である。人妻なら、なおさらだ。そこでおそらく、亭主はもちろん、町内の者にも悟られないように。用心深く行動していたに違いない。

そうして巧く浮気を誤魔化してこれた女性だけが、そのDNAを子孫に残せたので、現代女性が「モテ女」に憧れ、複数恋愛に走るのは当たり前なのか???